2006年 01月 28日
αマウント |
コニカミノルタがカメラ事業から撤退・・というニュース。
複雑な思いで聞いた。
”その他大勢”みたいな存在だった1眼レフSR時代のミノルタ。
そのミノルタさんからの受注で、レンズマウントの加工ラインの一部を設計したことがあった。
某機械メーカーに居た頃、ぼくが設計課転属になったのが81年。マウント加工機の設計は84年だったから、設計を始めて3年目・・・ちょっと自信も付いて来た頃だったんだろう。
メカ設計を部長がし、機械制御プログラムをボクが担当することになった。
はじめてのシーケンスプログラムが、20ステーションもあるロータリインデックスマシンだったのだから、自信の程も知れよう(爆)
正に、怖いもの知らず・・無謀とも言える。
今、覚えているのは、分散制御、集中管理・・外乱に強いシステム作りに徹したって事だ。
本流コンベアから、製品をインデックスマシンへ移載するピック・アンド・プレース部のプログラムに、状態遷移法の手法を使って、それまで先輩達がやっていたシリアルなカレント処理ではなく、原点不在、どこからでもシャトルヘッドがスタートする制御方法にしたのだった。
画期的!と自画自賛したが、誰一人誉めてくれなかった。(爆)
思えば、誰にも評価されないまま第1線から身を引いてしまったような気がする。
写真はαショックと評判になった頃、某週刊誌の特集に載った狭山工場のライン。
手前のロータリ・インデックス・マシン2台が、私の制御系初仕事でした。
先日、昔お世話になった某設備メーカーへ、年頭のご挨拶に伺った。
かつて、係長さんだったHさんは、いつもボクの出す構想図に「この機構は実績がありますか?」「もっと確実な方法はありませんか?」とダメ出ししてくれた人だった。
若いのに、堅実な設計する人だなぁ・・と尊敬していた。
次世代を担うのだろうと予想していたら、設計課のトップになっていた。
その彼が、またシゴトを出したい・・と言う。
聞けば「ふりーぱみたいに凝った設計をする者が居なくなった」とのこと。
皆、同じような変わり栄えの無い構想しか出してこない、らしい。
「それって、誉められて居るのかなぁ・・」笑いながら別れた。
たまには風変わりな機構も見たい・・と言ったトコロか。ボクにとっては誉め言葉ではある。
複雑な思いで聞いた。
”その他大勢”みたいな存在だった1眼レフSR時代のミノルタ。
そのミノルタさんからの受注で、レンズマウントの加工ラインの一部を設計したことがあった。
某機械メーカーに居た頃、ぼくが設計課転属になったのが81年。マウント加工機の設計は84年だったから、設計を始めて3年目・・・ちょっと自信も付いて来た頃だったんだろう。
メカ設計を部長がし、機械制御プログラムをボクが担当することになった。
はじめてのシーケンスプログラムが、20ステーションもあるロータリインデックスマシンだったのだから、自信の程も知れよう(爆)
正に、怖いもの知らず・・無謀とも言える。
今、覚えているのは、分散制御、集中管理・・外乱に強いシステム作りに徹したって事だ。
本流コンベアから、製品をインデックスマシンへ移載するピック・アンド・プレース部のプログラムに、状態遷移法の手法を使って、それまで先輩達がやっていたシリアルなカレント処理ではなく、原点不在、どこからでもシャトルヘッドがスタートする制御方法にしたのだった。
画期的!と自画自賛したが、誰一人誉めてくれなかった。(爆)
思えば、誰にも評価されないまま第1線から身を引いてしまったような気がする。
写真はαショックと評判になった頃、某週刊誌の特集に載った狭山工場のライン。
手前のロータリ・インデックス・マシン2台が、私の制御系初仕事でした。
先日、昔お世話になった某設備メーカーへ、年頭のご挨拶に伺った。
かつて、係長さんだったHさんは、いつもボクの出す構想図に「この機構は実績がありますか?」「もっと確実な方法はありませんか?」とダメ出ししてくれた人だった。
若いのに、堅実な設計する人だなぁ・・と尊敬していた。
次世代を担うのだろうと予想していたら、設計課のトップになっていた。
その彼が、またシゴトを出したい・・と言う。
聞けば「ふりーぱみたいに凝った設計をする者が居なくなった」とのこと。
皆、同じような変わり栄えの無い構想しか出してこない、らしい。
「それって、誉められて居るのかなぁ・・」笑いながら別れた。
たまには風変わりな機構も見たい・・と言ったトコロか。ボクにとっては誉め言葉ではある。
by freepa
| 2006-01-28 10:58
| 評論