2018年 10月 06日
見つめた先にあるアウラ |
ようやく「村上忠志近作展」に行くことが出来た。
一昨年だったか、辰野町の荒神山にある「パークセンター」での個展で行われた”鎮魂”と、テーマは共通するのだけれど、より先鋭化された内容になっていた。
長野市のギャラリー82で7日(日)まで行われている「近作展」には”見つめた先にあるアウラ”と副題がつけられていて、かなり哲学的。
まず、村上さんらしい暗いトーンのトルソが5点ほど続いた後、白と黒の情景的大作(200号)が繰り返し展示されている。
パークセンターで見たときの印象、白と黒との対比から浮かんでくるイメージ、たとえば生と死、混乱と秩序、破壊と建設、抑圧と解放、原発と自然エネルギー・・・・
そうした対比が今回の作品展では繰り返し押し寄せる津波の映像のように、膨大な、抗し切れないエネルギーの波のように迫ってくる。
吸い寄せられるように展示の奥の壁面まで進むと、黒い太陽が、深い悲しみの「眼」となって、じっとこちらを見ている。
あの日の決意はどうなったか?
果てしない喪失感から立ち直ろうとしたときの思いに変わりは無いか?
その瞳は、悲しそうに私たちを見ている。
”アウラ”には自虐的な意味がある。 繰り返されることによる芸術性の堕落、凋落。
だが、蔓延する希薄なイメージの繰り返しから、真実に迫ろうとする”兆候”の意味も汲み取れる、複合的な言葉でもある。
作品の量と空間の広がりも、今回のテーマには重要だ。
中央の椅子に腰掛け、押し寄せる津波のエネルギーに身を委ねていた。
奥の壁面の作品の右側のドローイング、異質な感じがして気になった。
どうしてここに? と、2つの作品を見ながら考えた。
おや?と思い当たったのは、奥の壁面と対峙する入り口側の白いトルソ。
その下書き的な、ネタバレ的な、意味も感じ取れた。
メイキング映像のような・・・
その一角だけ、ほっと、気分の休める空間になっている。
その、白いトルソの前で村上さんと記念写真。
展示は7日までです。
深い悲しみの大波を浴びてきて下さい。
あの日の決意を忘れないためにも・・・・
一昨年だったか、辰野町の荒神山にある「パークセンター」での個展で行われた”鎮魂”と、テーマは共通するのだけれど、より先鋭化された内容になっていた。
長野市のギャラリー82で7日(日)まで行われている「近作展」には”見つめた先にあるアウラ”と副題がつけられていて、かなり哲学的。
パークセンターで見たときの印象、白と黒との対比から浮かんでくるイメージ、たとえば生と死、混乱と秩序、破壊と建設、抑圧と解放、原発と自然エネルギー・・・・
そうした対比が今回の作品展では繰り返し押し寄せる津波の映像のように、膨大な、抗し切れないエネルギーの波のように迫ってくる。
果てしない喪失感から立ち直ろうとしたときの思いに変わりは無いか?
その瞳は、悲しそうに私たちを見ている。
”アウラ”には自虐的な意味がある。 繰り返されることによる芸術性の堕落、凋落。
だが、蔓延する希薄なイメージの繰り返しから、真実に迫ろうとする”兆候”の意味も汲み取れる、複合的な言葉でもある。
作品の量と空間の広がりも、今回のテーマには重要だ。
中央の椅子に腰掛け、押し寄せる津波のエネルギーに身を委ねていた。
奥の壁面の作品の右側のドローイング、異質な感じがして気になった。
どうしてここに? と、2つの作品を見ながら考えた。
おや?と思い当たったのは、奥の壁面と対峙する入り口側の白いトルソ。
その下書き的な、ネタバレ的な、意味も感じ取れた。
メイキング映像のような・・・
その一角だけ、ほっと、気分の休める空間になっている。
その、白いトルソの前で村上さんと記念写真。
展示は7日までです。
深い悲しみの大波を浴びてきて下さい。
あの日の決意を忘れないためにも・・・・
by freepa
| 2018-10-06 02:32
| 評論