眠れぬ夜はふりーぱと・・・
2023-08-17T09:48:12+09:00
freepa
ふりーたーぱぱの気まぐれエッセイ
Excite Blog
地方議会議員選挙における「住所要件」・考
http://freepa.exblog.jp/33394315/
2023-08-17T09:48:00+09:00
2023-08-17T09:48:12+09:00
2023-08-17T09:48:12+09:00
freepa
時事
おかげさまで、心配していた若者が予想以上の得票を得て当選した。 が、川島小学校存続を目指し共に活動してきた樋口氏が次点との結果となった。
14位の小沢氏との差が数票(2票)・・・との結果だった。 樋口氏の選対委員長(?)I 氏が、4月26日、13位当選した本多氏の生活実態が町内に無かったとして町選管に不服申し立てをした。
選管からの判断は「5月16日に示す」という噂だったが回答書が出されたのは7月11日だった。
https://www.town.tatsuno.lg.jp/.../kurashi.../8/2872.html
結論から言うと I 氏の異議申し立ては棄却ということで、いくつか理由が述べられていた。
その前に「住所要件」について少し調べたことがあって、住民票さえ告示3ヶ月前に取得していればいいんじゃないか・・・と考えていたので、選管が最高裁判所の昭和 35 年 3月 22 日第三小法廷での判例を持ち出し、「 選挙権の要件として の住所については、 その人の生活 にもっとも関係の深い一般生活、全生活の中心をもって、 その者の住所と解すべく、私生活面の住所、事業活動面の住所、政治活動面の住所等を分離して判断すべきものではない」・・・と「生活実態」を要件としたことは”ヤブ蛇”になりはしないかとさえ思った。
それについては樋口氏が県選管に不服申立を行い、8日 県選管は臨時会を開いて協議したとのことだった。
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023080900180
(写真)
再度、町選管は I 氏の申立を棄却した理由書(弁明書)を県選管に提出し、樋口氏はその弁明書に対する反論書を提出することになる。
住所要件については
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地方議会議員選挙の被選挙権における住所要件
岡田 大助
群馬大学 大学教育・学生支援機構大学教育センター
5. おわりに
被選挙権は選挙権と比較すると追究されてきたとはいえない。被選挙権は憲法典にも明記されていないが,選挙権との関係を考えると,憲法15条1項が基本を定め,同44条で具体的に定められているといえる。公選法等により,地方議会議員選挙は他の選挙とは異なり,被選挙権につき「3箇月の住所要件」が存在する。その「3箇月の住所要件」を検討すると,憲法の住民自治の観点からは必ずしも必要なものとはいえず,また,その「3箇月」という期間が政策的な判断によってなされているとしても,実際の効果は低い。公選法等の規定を改正し,授権規定にて各条例で規制・規定できるようにするべきである。
被選挙権の法的性格及び「3箇月の住所要件」について,今後も検討していきたい。
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と、将来の地方議員選挙に向けて見直しの必要性を述べている研究者もいる。
実際の争点は
本多氏が告示前3ヶ月の主な生活拠点を辰野町としていたかどうかだけだと思われる
昭和35年の判例を持ち出したのは辰野町選管なのだから、苦しくてもそこを説明する必要があるし責任がある。
私としては、I 氏の不服申立に対して「住民票が示すとおり住所は辰野町にあった」と門前払いし、「今後もそうした立候補を認める」・・・といい切ってしまったほうが良かったと思われる。
「地方自治の精神」を重んじるあまり昭和35年の凡例にまで遡って「生活実態」を要件とし、「住民票だけでなく総合的に判断して主たる居住地が辰野町にあった」と証明しようとしたのは踏み込み過ぎだったと思う。
樋口氏の真意は "繰り上げ当選" にあるのではない。
生活実態がない "住民" にも被選挙権を与える町かどうかを確認したいだけなのだから、町選管も「はい、そうです」と言えば良いのだ・・と思う。
樋口氏、池田氏の落選は残念だったけれど、光陽さん、慶司さんの当選という結果は、辰野町有権者の特徴を示す事例と受け止められた。
今後も、この件の推移に注目していきたいと思う。
関連サイト
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023080900180
https://digital.asahi.com/art.../ASMCD56QCMCDULFA01V.html...
https://www.jstage.jst.go.jp/art.../jasa/2022/9/2022_55/_pdf
インサイトを見る
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9宮澤透、角田 千広、他7人
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正解
http://freepa.exblog.jp/32356456/
2022-10-05T00:30:00+09:00
2022-10-05T00:34:00+09:00
2022-10-05T00:30:10+09:00
freepa
日記
4期目?の学校評議員だから一応"ご来賓”(爆)
校長が来賓席へ案内してくれそうになったので、お断りした。
盗撮するには後列中央部が好ましい (苦笑)
「写真、動画はストロボを使わないのでしたらOKですが、ネットへの投稿は止めてくださいね」
釘、刺されちまいました・・・
さて、PAのセッティングに不満を感じながら、一生懸命聴こうとしたのだけれど、ほとんど聞き取れない
メロとハーモニーしか楽しめない。
録画したデータをグライコ掛けて2kHz近辺を上げて3kHz以上 1kHz以下を低く抑えてみた・・・
聞き取りやすくはなったもののモゴモゴ言ってるところは全く意味不明。
そこで、歌詞を検索してみると・・・
正解
作詞・作曲:野田洋次郎
・・・・<途中から>
あなたとはじめて怒鳴り合った日
あとで聞いたよ君は笑っていたと
想いの伝え方がわからない
僕の心君は無理矢理こじ開けたの
あぁ答えがある問いばかりを
教わってきたよだけど明日からは
僕だけの正解をいざ探しにゆくんだ
また逢う日まで
・・・・・・<以下略>
イイではないか!!
恋に友情に人間関係に・・・と悩んでいた10代の自分を思い出した (笑)
18、9の頃からのバイブル 光太郎詩集 「智恵子抄」の一節を思い出した
人類の泉
・・・・・・<途中から>
私は今生きてゐる社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此れは自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら――
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
・・・・・・<以下略>
光太郎にも負けないくらい好きだった三好達治の一節も・・・
なれは旅人
・・・・・・<途中から>
旅人よ
つつしみて言葉すくなく
信なきものの手なとりそ
ただかりそめのまこともて彼らが肩に手なおきそ
さみしき彼らが背<そびら>を見るにも慣れてあれ
されどなれは旅人
旅人よ
木陰にいりて
つめたき石にもいこへかし
・・・と、思ってはいても
人は人、自分は自分・・・コレでイイのだ・・・と、なかなか断ずることが出来なかった頃
『和して同ぜず・・・』
新潟の友人から自己肯定感を得る方法を学生時代に学ばせてもらった。
孫世代とも言える若い後輩たちの歌声から、ほろ苦い季節を追体験させていただいた。
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花椒の味
http://freepa.exblog.jp/32316624/
2022-09-24T09:42:00+09:00
2022-09-24T10:48:19+09:00
2022-09-24T09:42:13+09:00
freepa
評論
2019年製作の香港映画、監督はヘイワード・マック。出演:長女ユーシュー:サミー・チェン、次女ルーシー:メーガン・ライ、三女ルーグォ:リー・シャオフォン、次女の母親役:リウ・ルイチー、長女の恋人:アンディ・ラウ、父親ハー・リョン:ケミー・リーほか
詳しくは・・・
https://www.cinemart.co.jp/article/news/20211029005005.html
を。
東座が9月17日で開館100周年を迎えるので、それを記念して合木さんが選んだ作品。
父親と長女との気持ちのすれ違い、隔離と和解がベースにはあるのだけれど、物理的距離と心情とが反比例していることを三姉妹と父親との関係が示していて、身近でも有りがちな状況でリアリティがある。
出てくる人がみんな”良い人”ばかり、3姉妹それぞれの家庭環境(香港・重慶・台北)で気持ちのすれ違い=ドラマはあるのだけれど、互いの”思いやり”が原因となっていて、良かれと思ってしたことなのに、それが仇となってしまった・・・といった、見に覚えのある事ばかり。
行く先々で"女"が出来てしまう、惚れっぽい男ってどーよ?と思ってしまうのだけれど、回想シーンで出てくるケミー・リーの笑顔や、客とのやり取り、長女ユーシューとのやり取りを見ていると、ただただ優しい、ホントにイイ人、正直な人。
ユーシューがそれを理解するには、3人で店を続けながら『なぜ?』『なぜ?』と考えて1年掛かったということなのだろう・・・
「お父さんに今、会いたい!」ユーシューの涙の絶叫が胸を熱くする。
どのカットも本当に綺麗。 いいカメラ使ってるなぁ・・・ 照明凝ってるなぁ・・・ と、タメイキ。
三姉妹が、それぞれ知り合いに似ていて、それも又可笑しかった。
はんちゃんに似た(爆)サミー・チェンの歌を聴きたい方は↓をチェックしてください
sammi cheng arigato
https://www.youtube.com/watch?v=7ejmsJqcfNE
Best Songs Of Sammi Chang
https://www.youtube.com/watch?v=pRp4T3C8esQ
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同志を偲ぶ 20220908
http://freepa.exblog.jp/32240307/
2022-09-08T16:46:00+09:00
2022-09-10T10:07:10+09:00
2022-09-08T16:46:51+09:00
freepa
日記
迂闊にも、盆が過ぎるまで気が付かなかった・・・(泣)
ご葬儀にも伺えず、新盆にも伺えないまま、月が変わってしまった・・・悶々とした日々を過ごしていたが、お元気だった頃の思い出や、中学生時代の”電気屋のおじさん”の思い出ばかり蘇ってきて、恥を偲んでご焼香に伺わせて頂くことにした。
廣島電気商会は父のお気に入りの電気屋さんだった・・・
1962年か63年頃父はローンを組んでテレビを買った。 木曜日か金曜日の夕方だったと思う。廣島さんが古いあばら家にやってきて配線工事をしてくださった。
ワクワクしながら映像が出てくるのを待った。確か最初に映ったのは「ライフルマン」だったような気がする。
これで、夕食時ご近所へ「こんばんはー、テレビ見せてください~」と行かなくて済むと、子供心にも嬉しかった。
”東芝テレビジョン”と書かれた大きなダンボール箱はしばらく私の遊び場になった。
以来、顔の長いおじさんは度々我が家へ来るようになった。
洗濯機、電気釜の次辺りにこのTVが我が家に来たのではなかったかな。
パイオニアのテレコを買ったり、ゼネラルの掃除機やビクターのテレコ、コロンビアのポータブルプレーヤー・・・こどもゴコロにワクワクして電気を入れてた記憶が残っている。家計は火の車(何しろ父は働かない (爆) )そんな中、父は、顔の長いおじさんの店へ行っては次々とローンの契約をして来た。
中学になると、小遣いを貯めて、僕が廣島電気商会へ通うようになった・・・
3インチでなく5インチのオープンリールの掛かるテレコが欲しくなったり、ICラジオが欲しくなったり・・・
ヒロシマ電気のショーウィンドゥにある、東芝やソニーの製品を眺めては、あと幾ら・・・と指折り数え、目標額になる日を夢見ていた。
高校卒業まで、そんな街のでんき屋さんと中高生の関係が続いた。
古い写真がある。
公民館講座でスライド映写会をして好評だった、昭和29年頃の2丁目商店街の写真だ。
廣島さんからお借りしてきたアルバムに「旧店舗」とキャプションのある写真は40年代のものだろうか
駅前整備が始まる前の2丁目、多分私が中学~高校生だった頃(1967-70年)の様子だと思われる。
1丁目が賛成しなくても2丁目~4丁目だけでも拡幅工事しよう・・・と見切り発車で大規模整備が行われたのは1970年頃だったと思う。
廣島さんのアルバムには「旧店舗」「新店舗」の写真が並んで居る。
多分↑これは2度目か3度目の改装後の様子と思われる。 縁あって、マーチテクノロジー作業部屋のBG用スピーカーになっているパイオニアのモニター・スピーカーが右上に見える。
辰野に戻ってからはオーディオやレコードは岡谷や諏訪の店に通うようになり、次第に”ヒロシマ電気”さんとは縁遠くなってしまった。
ところが、2000年に行われた長野県知事選挙であちこちの市町村に「田中康夫勝手連」が組織され、車座集会を続けながら地方行政について話し合いが行われるようになった。
初めての車座集会が町内(民商の事務所だったと思う)で行われ、市民活動家や商工業主、学者・教育関係者、ボランティアメンバーなどが集い、やっしーを囲んだ。
知り合いから声を掛けられ、私も参加した。集まったメンバーの中に昔懐かしい廣島さんの姿があった。
やっしーの1期目の県政が始まり、勝手連のメンバーが各町村単位で「しなやかNET◯◯◯」という車座集会(フォーラム)を行う組織を作ろう・・ということになった。辰野でも検討したのだけれど、やっしーの選挙で使い古された ”しなやか” は、きっと廃れる・・・とS氏が言い、メンバーの多くが納得。
辰野だけ「ゆるやかNETたつの」という名称で旗揚げした。2001年1月のことだった。
元労組の重鎮M氏、歯科医師会のS氏、元町議の I 氏・・・そして廣島さんもその環に加わった。
以来毎月車座討論 ゆるNETフォーラム を開催、240回を超える程になった。
http://www.march-tec.com/yuru/yuru01.html
かやぶきの館でフリマをやったり
南信パルプの臭気問題を追求したり
道路問題
駅前開発
空き家対策・・・などなど。
さまざまな取組で廣島さんは独自の理論を展開された。
既成概念に捕われない、自由な発想のできる人だった。
何度かご自宅に招かれて、お話を伺ったり、相談したり・・・親しくお付き合いさせていただいた。
2010年11月 阿部知事の「ようこそ知事室へ」の出張版に参加して、アレチウリ駆除について話したり、I ターンなどについて意見交換したこともあった。
廣島さんとの話は、まるでホラ話の応酬のようで、どんだけ盛ってるのか、僕も廣島さんも互いに見当がつかない・・・(爆)
たぶん、父も廣島商会で大ホラ吹いて、ローンを組み続けていたんだと思う。
その辺の血は争えない。
ホタルスイッチ(イルミ付きスイッチ)の特許は廣島さんが持っていたものだ。
その他にもいくつか特許を持っている。
2~4丁目の整備促進は廣島さんたちの熱意がなければ到底実現しなかったとおもう。
高崎・辰野・箕輪・・・と、展開次第ではヤマダにも負けない事業が出来たかもしれない・・・
航空機の操縦免許だけでなくセスナも持っていた・・・
そんな話を聞くたびに、私も負けじと応酬した(爆)
"1億2000万の借金を踏み倒した男" だ・・・負けてはいられない(再爆)
ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」の父親のように、話していて楽しい。ホラだと思って楽しく聞いていたら、実話だったと後で気がつく・・みたいな、ファンタジックな話が尽きなかった。
素敵なご老人だった・・・
僕もまだまだ頑張ります・・・と、墓前で手を合わせてきた。
あきらさん安らかに アキラ100% (苦笑)
合掌
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中川紀元と大森光彦展
http://freepa.exblog.jp/31820065/
2022-06-19T17:30:00+09:00
2022-06-19T18:43:30+09:00
2022-06-19T17:30:13+09:00
freepa
評論
光彦さんの作品、陶芸は全く経験が無く分からないけれど、 釉薬が細かく割れて卵の殻みたいになってるところがあって、その密度が揃ってるって言うのは凄いんだろうなーっていう気がします。
まず目に飛び込んでくる「卵殻鶴首花瓶」首の長い磁器のフォルムと色合い、表面のひび割れ方・・・とっても良かったんですが、1階と2階と比べると2階の方が綺麗に見えるんですよね。原因について考えてみて、1階の展示の照明が強いんじゃないかなと思った次第です。展示台の色が反射して、表面の質感が変わっちゃったりして、紫色の台の上に置かれている壺や器の 下半分の黒いところが紫色に見えたりとか、色々あって ちょっと残念。見せ方って大事だな。 トップライト一灯で見せるのは印象的ではあるんだけど、コントラストがきつすぎて大森さんの作品そのものを見せるって言うのには向かない気がします。その辺、2階の展示は拡散された光が当ってキツイ影が無くて、同じ黒ベースに置かれた器でも、元の色が見えて良かったと思います。
また、紀元さんは自由ですよね、本当に自由で いいなと思います。いつ見てもいいなあと思いますよね。あの細かいことに因われずに、ライブ感覚っていうのかな、筆に勢いがあって緻密に計算されたっていうよりはイメージを優先させて勢いで書いてる、スピード感みたいなのが伝わってきて、いいなぁって思いますよね。
臨機応変に、その時々の気持ちを大事にするって言うのはやっぱり紀元さんならではっていう感じなんですよね。1度、あの洋画の堅苦しさを捨て、日本画の(というよりは文人画の)技法や要素を取り入れた事で、一層自由度が増したような気がします。 風景画よりも仏像模写の奔放さが魅力的ですね。
そうそう、初期の風景画がまるで碌山の絵のようでびっくりしましたが、「太平洋画会」に席を於いていたというので納得しました。
最終日に、ようやく見ることが出来、満足でした。
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発酵ハッコウ ぐぅ~るぐる ・・・
http://freepa.exblog.jp/30874910/
2021-12-11T17:19:00+09:00
2022-01-24T21:04:53+09:00
2021-12-11T18:12:04+09:00
freepa
評論
鎌倉を舞台に、オーガニックな生き方をするナチュラリストが次々と登場して、原発反対、無添加自然食品の取り組み、町おこし・・・をグイグイ仕掛けてくる。
シーンの一つ一つが実に美しい・・・そして懐かしい。
津村で育ったサーファー3代目(本人談)Iくんを懐かしく思い出した。 婆さんも、爺さんも昔は反物の干し板で波乗りをしていたという。
もう40年も前遊びに行って、朝、お母さんのチャリを借りて海を見ようと鎌倉高校前の切り通しを曲がった途端、朝日に輝く海にびっくりしてコケた事が忘れられない。
江ノ電も、鎌倉の古い町並みも懐かしい・・・
見終わって感じたのは市民運動の組み立て方の違い・・だった。
今まで、”まず、理念を共有しよう” 的な合言葉で様々な取り組みをして来た。
理念が共通のものになって、何をどうするか、具体的な方法についてアイデアを出す・・・それが「常識」だった。
このドキュメンタリーは真逆なベクトルを具体的に見せてくれる。
”楽しく生きよう” ”気持ちいいことしよう” 理由も目的も理屈は後で分かってくるものだから・・・みたいな。
楽しく盆踊りしよう 輪になって歌い踊って なんで楽しいんだろ? と、その理由考えたら、集まった仲間に共通の理念があった・・・と分かってくる。
そんな流れもアリなんだと。
発酵=fermentation には民衆の高揚したエネルギーという意味もあるらしい。
宇宙の一部として、自然に生きる 持続可能な生き方を是とする人々のエネルギーが幾重にも重なる盆踊りの輪の中心から光の柱のように立ち上がってくる実感を「イマジン盆踊り部」の笛理子さんは感じたという。
まず、盆踊りしよう・・・何の為かは参加者に委ねてもいい・・・だって楽しいんだから。
歌詞に銘々の思いを込め、何度も何度も書き直す、呪文のように唱えているうちに、理念が立ち上がってくる・・・そんなアプローチが有っていいのかもしれない。
見終わって、平野監督の挨拶を聞いた。
そこでも「理念」を押し付けるような話は無かった。 「こんど、こんなイベントやります、撮りに来ませんか・・」みたいな誘いに乗って10年取材を続けたらしい。
力みがない、自然体・・そこが、気持ちいい。
「もったいないキッチン」
「インディペンデント・リビング」
そして
「発酵する民」
と、最近観てみようと思わせられる映画にはなにか共通するディレクションがある。
こころのどこかで惹かれているんだと思う。
辰野でも上映してくれないかなぁ・・・
山口愛さん末富拓さんのミニ・ライブも良かった。 李政美さんの歌を聴いてるような錯覚・・・思わずオギヤディーヤ、オーギヤチャ・・・と口づさみそうになった。
https://fermentfilm.com/
https://www.youtube.com/watch?v=h8ov0js8PLg
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レナード彗星を撮りたいっ!!
http://freepa.exblog.jp/30865173/
2021-12-06T17:17:00+09:00
2021-12-06T17:29:47+09:00
2021-12-06T17:17:24+09:00
freepa
日記
先日の忘年会でレナード彗星の美しい写真を見せていただいた。
ご自身のブログでも書かれている。
https://figaro1756.blog.fc2.com/blog-entry-1312.html
さっそく日曜の夜、自宅の庭から東の稜線を凝視してたのだが・・・見つけられなかった。
作戦を変更し西の高台から東の空を観察することに。
6日の早朝を逃すと、翌日からは曇天か雨天、という予報。
もう一度、位置情報を確認
うしかい座のアルクトゥールスを見つけてそのちょい上の星がレナード彗星・・・らしい。
でも、
どれが「うしかい座」なんだか、全く判りませ~ん!! (爆)
そこで、iPadの星座盤で確認
一番明るい星がどうやらアルクトゥールスらしい・・・
これ???
尾が無いけど・・・ 健治さんの写真みたいに青くはないし・・・
ちがうのかなぁ・・・
もっと南側のこの一枚
に写っている右側のぼんやりした星が彗星にも見えたりするのだが・・・・
やはり、餅は餅屋に任せておくべきか? (泣)]]>
ボランティアの鬼
http://freepa.exblog.jp/30864745/
2021-12-06T13:46:00+09:00
2021-12-06T21:14:35+09:00
2021-12-06T13:46:13+09:00
freepa
日記
自分でも把握出来ていないような気がする。
今朝は「いいまちたつの知らせ隊」の記事が地元紙に載っていて、また何人かに冷やかされそうだ・・・(苦笑)
町議を辞めた理由も、そうしたボランティア団体の活動と議員活動を両立出来なくなったのが大きい。
「いいまちたつの知らせ隊」は2017年に中谷勝明さんが呼びかけて、広報課と産業振興課の観光広報コンテンツ製作を支援するボランティア団体として誕生した。
名付け親はワタシ・・・ロゴ・マークも作らせて頂いた。
個人的には・・・
「寺子屋シアター」プロジェクト実行委員会の負荷が多い。
次が
「辰野国際交流協会」
次いで
市民フォーラム「ゆるやかNETたつの」の活動が来る
この3つは代表という肩書、休めない (笑)
文化活動だと
「知らせ隊」の他に伊那市を拠点に活動する「英語ガイドクラブ」安曇野市の碌山美術館の利用者団体「碌山美術館友の会」の会員で広報紙の編集委員ということになっている。
外国籍の住民支援としては「地球人ネットワークinたつの」信州大学の「留学生支援団体」にも加わっている。
「映画を見る会」にも最近入会。「岡谷三脚クラブ」は退会させていただいたけれど、地元の「宮木写真同好会」は副会長(会計)を任されている。絶滅危惧種「ミヤマシジミ」の保護再生を目指す「辰野いきものネットワーク」のメンバーとして、荒神山・たつの海周辺の環境保護を続けている。
政治活動では
「伊那谷市民連合」「オール上伊那」「上伊那市民連合」「たつの九条の会」で活動中。
地域だと
町内会自主防災隊で「情報班長」になっているらしい・・・
川島の子どもたちの見守り組織「川島未来協議会」に入っている(本人はそのつもり)
「木の子クラブ」の支援・お手伝いも出来る範囲でやらせていただいている。地元の桜並木の長寿命化を目指す団体「城前のサクラ見守り隊」隊員にもなっている。
行政との関わりの中では
辰野中学校 「学校評議員」をさせていただきながら、町ど真ん中プロジェクトでは「子供がど真ん中プロジェクト・チーム」でお手伝いをしている。辰野病院支援ボランティア「きずなの会」もほとんど名前だけだけれどまだ在籍中・・・さらには・・・写真愛好家・動物写真家宮崎学さんの私塾「gaku塾」の会員。ファンクラブでは松山三四六さん佐久間順平さん豊田勇造さん・・・未組織ながら三浦久さんのファンというより信者に近い (笑)
ということで19~20団体に入っていることになるのかな?
メール、読み切れない訳だわ (苦笑)
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寺子屋シアター「天翔ける蛍」上演、完了
http://freepa.exblog.jp/30811154/
2021-11-10T18:39:00+09:00
2021-11-10T18:39:36+09:00
2021-11-10T18:39:36+09:00
freepa
日記
スタッフ・キャストで30数人、実行委員、ボランティアを含めると50人を超える人の力を結集して、大きなプロジェクトを終えることが出来ました。
おそらく、私が手掛けたイベントで最大規模のものになったと思います。
個人的には、由里さんの芝居に賢治さんと共演出来る・・・ってだけで舞い上がっちまいそうなのですが、それ以上に、運営する側の責任者としての作業量が半端なくって、何度も挫折しそうになりました。今は、達成感と充実感の中で、至福の空気感に包まれていますが、次第に冷静になってくると、準備不足や、人手不足で苦境に立たされたことを思い起こして、皆さんから相当の批判が寄せられることでしょう・・・
時間も人も十分にあれば、どってことぁ無い作業の積み上げで行けるはずなのですが・・・
ポスター一枚とっても、構想はいつも突き返され、何度も推敲を重ねて、出来上がったのは出来上がり予定の1ヶ月後・・・そこからパンフの製作しつつ通し稽古を受けつつ・・・の日々。
「段取り8分、仕事2分、一事が万事準備が大事」なのです。統括するのであれば役者になってはイカンと思います。次回、裏方(スタッフ)は今年の倍必要だとも思いました。組織の体制について構想はあるのだけれど、必要なスキルを持った人がはたして実行委員になって下さるかどうか・・じっくり時間を掛けて説得しないと次の展開に進めないような気がします。
とにかく3年計画(3部構成)の 其之一は終わりました。
好意的なご意見、励ましのお言葉、称賛の感想に囲まれて、気も緩みがちですが、しっかり反省すべきところは反省せねばなりません。
長野日報さんが、文化欄で取り上げてくださり、小林記者が実行委員会の行動力に賛辞のコラムを綴って下さいました。
ありがたい事です。 m(_ _)m
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K夫人
http://freepa.exblog.jp/30520514/
2021-05-12T03:11:00+09:00
2021-05-12T03:25:01+09:00
2021-05-12T03:11:04+09:00
freepa
日記
グーズベリーハウスでくつろぐお二人の姿に惹かれて「写真取らせていただいてもよろしいですか?」と声を掛けたのが始まりだった。
「二人で静かに旅をしています。距離さえお取り頂けたらよろしいですよ」
と、婦人が撮影を了承してくれた。
自作の写真集の中心的な写真が撮れた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.385996698117302&type=3
それがご縁で文通が始まった。
東京でお会いしたり、信州へ来られるときは松本や穂高でお会いした。
社員旅行で九州へ向かう途中で門司から電話したらタクシーで駆けつけて公園から出てくるバスを一台ずつ停めて、ワタシを探してくれた。
バスを飛び降りて、再会を喜びあった。
バスの前で抱き合う二人を、同僚たちは訝しがった。部長からは「どーゆー関係なんだ?」と聞かれた。(笑)
長男が14歳の時、「親子ふたり旅」2巡目を”西日本周遊”として、下関まで行き、帰りにIさんのお宅に立ち寄ったこともあった。
Iさんが亡くなり、夫人Kさんも信州へは中々来られなくなったが、今度はこちらから下関へ伺う様になった。
きゃよいんとの九州の旅の途中でお会いしたり、7回忌にお呼ばれしたり、K夫人の弟さんや姪御さんとも親しくなった。
姪のUさんとK夫人と信州へ来られたときも、きゃよいんとであちこちご案内した
https://freepa.exblog.jp/15559252/
https://freepa.exblog.jp/7618673/
https://freepa.exblog.jp/20586031/
https://freepa.exblog.jp/15539211/
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https://freepa.exblog.jp/10936543/
https://freepa.exblog.jp/10988611/
5,6年前、施設に入られた夫人を訪ねたことがあった。
次第に手紙も届かなくなり、弟さんからの電話も無いまま3~4年が経った。
昨日、久々にU子さんから電話が・・・
「伯母が亡くなりました」
「1時から、葬儀です」
「伯父からもカキウチさんにお知らせしてくれと言われまして・・・」
正直、もう亡くなっているものと思っていたので、2,3日前までご存命だったことを喜んだ。
「信州を、山口を、ご一緒に、旅したことがいい思い出でした」
私もU子さんも、同じ言葉を口にした。
昼、お線香を上げ、きゃよいんとご冥福をお祈りした。
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断念
http://freepa.exblog.jp/30511084/
2021-05-03T05:44:00+09:00
2021-05-03T06:07:48+09:00
2021-05-03T05:44:56+09:00
freepa
評論
辰野町総合教育会議が行われた
武居町長が1月に示した「辰野町立ほたる小中学校構想」義務教育校・1校5校舎キャンパス化構想について、総合教育会議でも反論が続出、地元紙投稿欄でも賛成意見が少数(という印象を持った)議会でも構想公表に至る町長の手法に批判が集中していた。
構想推進派市民としては、『耐えてくれぇ』『具体的な指示を、町、教育委員会にだしてくれないかなぁ・・』と、祈るような気持ちで、”再検討結果を4月中に公表する”と期限を切った町長の「結論」を待った。
「撤回します」
の言葉に驚きは少なかったものの、大きく落胆した。以前、このブログでも書いたが、町長私案実現のためには県や国レベルの後ろ盾、強力な支援が不可欠だと思われた。
到底、ビンボー町財政で賄える金額ではないし、制度的な枠組みや人的配置などで上部組織、省庁の理解や協力が必要だろうと感じていて、そうした方向での可能性について、慎重な町長のことだから何人かのキーマンに相談なり助言を求め、何らかの手応えを得た上で”公表”したのだろうと勝手に想像していた。
ところが、議会での一般質問に対する答弁を聴く限り、そうした事情についてはカケラも示すことはなかった。もしかしたら、ホントに”具体策を考えるのはこれからです”・・・っていう事なのかも知れないと思い始めた。だとすると、相当高く厚い壁を崩さないといけなくなるぞ・・・と危機感を感じていた。
未来協議会が要望書を提出した折も、一人一言発言の中で「町長私案、教育委員会案とを客観的に比較検討できる資料を提示して、町民に示してから『選択』すべき」と言わせていただいた。
最も大切なことは、辰野町における義務教育をどういう内容にするか、だとおもう。
ひとりひとりの個性を大切にするか、機会均等、内容同様、どこで学んでも同じ教育にするか
県が進める、自主的、自立的、深い学びを実践するにはどちらの仕組みが効果的か
そもそも、保護者、子どもたちがどういう学校を望んでいるのか・・・を先に決めないといけないハズだ。
教育委員会はすでに決めたという判断(なのだろう)
多くの保護者・町民はこのままでいい(と思っているのだろう)
残念ながら、新聞の投書や教育委員の発言を見聞きするかぎり、受けての側の意識はかなり遅れている。
MLTS <Most Likely to Succeed> 鑑賞会でも指摘されているように、住民の意識をまず変えないと、未来志向型の教育制度・体系は確立できない。
「小学生の内に自分にあった学校を選べ・・・というのは無理がある」
「どこで学んでも同じ内容・レベルであってほしい」
・・・と、親が思っている限り、根本的な解決は絶望的だ。
わずか8000人~9000人ほどのNZ ワイトモ行政区にあるテクイチ町だけでも私の知る限り5つの小学校があり、それぞれが個性的な教育を行っている。住民がどの小学校へ子供を通わせるかは自由に選べられる。行政区内の他の村々の小学校を入れると何校あることか・・・当町の教育委員によれば集団競技や学習が出来ないワイトモの子供達は”不幸”という事になるのだろうか?
教育長も自ら言っている通り「特徴づけしようとしても、できるのは週2時間(2コマ)の総合学習の時間だけ」で、大騒ぎするほどの違いなどつけようもない、「選べない」「迷う」という保護者には丁寧にその僅かな違いについて説明すればよいだけとおもうが・・・教育委員や町民の”戸惑い”を聞いていると、「みんなと同じにしたい」日本人気質が感じられる。
25年近く中学生を姉妹都市ワイトモへ派遣する「ホームステイ・プログラム」を国際交流協会として企画・運営しているが、参加する個性的な中学生ですら、自己紹介をする時に隣の子と相談する、「教科では何が好きですか」と尋ねられても、隣の子と相談しないと答えられない子が多い。
個性を出す、他者との違いを当然のこととして考える・・・そんな自覚が芽生えるのはいったいいつになるのだろう。
町長がサジを投げたウラにはそうした”根本的”な、客観的な事情に気力を奪われたという事があったからではないだろうか。
町民が望まない(ごく限られた人だけしか望まない)施策を推し進めても誰も喜ばない・・・・
まぁ、放っておいてもやがて町内一つの小学校となるのだろうから、これ以上僕らが声を上げるのも無駄かもしれないのだけれど、無駄と解っていても、やはり言うべきことは言っておかないと・・・・
まだまだ、つづきます「川島小学校問題」
川島だけの問題じゃないんだから!
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町長・教育長へ要望書を提出
http://freepa.exblog.jp/30465144/
2021-03-22T12:30:00+09:00
2021-03-22T13:33:48+09:00
2021-03-22T12:30:57+09:00
freepa
時事
私もメンバーの一人として同席させていただきました。
要望書は以下の通り 教育長宛も同文です。
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川島小学校の存続を求める要望書
武居町長の3年間チャレンジ期間をうけて、 私たちは子どもに寄り添い子どもの居場所づくりに対し様々な取り組みをして参りました。地域活性化の一環で移住施策にも積極的に取り組み、 成果はあったと思っています。しかしながら昨年も何組かの移住希望者の訪問はあったのですが住宅の確保が追い付かず、 結果として移住までは至らない結果となりました。 町へも町営住宅の確保をお願いしてきたところですが、結果を見るまでは行きませんでした。先日の町長談話には児童数の増加には繋がらなかったとのコメントがありましたが、 私たちはそうは感じておりません。情報発信は成功しました。住宅施策を伴わない移住施策推進の難しさを知ったところです。また、3年前の提言書はその前 2年かけて検討した結果ですが、その後の 3年間、教育長、教育委員会、あり方検討委員会の委員、 総合教育委員会の委員の皆さんには今の親に対して子どもの様子や私たちの意見を聞いてもらう機会もなく今回の結論を示さることについてとても残念に感じています。親も子どもも変わっています。学校に通えなくなった子どもたちも川島小学校には笑顔で通えています。元気に通う子どもの姿を見ることは親にとって何よりの幸せです。その毎日が川島小学校にはあります。地域活性化には小学校の存在が欠かせません。川島小学校で学ばせたいと移住したご家族もいます。川島小学校を居場所として必要としている子どもたちから居場所を取り上げないでください。地域で川島小学校を支える活動をとおして、下記の事について要望します。
記
1.川島小学校の存続を要望します。
以上
令和3年3月19日
辰野町長
武居 保男 様
ふるさと川島未来協議会
代表
樋口 博美
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報道陣が退室後、参加した保護者一人ひとりが発言、小規模校の必要性を直接話すことが出来ました。
私は、教育委員会が一つに方針を固めるのではなく、税金の公平な使用、効率性、教育の均等性、から導き出された「あり方検討委員会」の「提言」そった「現案」だけでなく、「町長私案」についても、効率性、実現性、教育効果、多様性等々について両案を比較検討できる中立的な資料・判断材料を作るべきだ・・・と意見を言わせていただいた。
町長、教育長とも、この日は徹底して聞き役に回り、丁寧な対応をしていただいた。
「いままで、就学児童の保護者の意見を聞いたことはありませんでしたよね?」との樋口代表の問いかけに
「はい」・・・と、教育長が素直に認めたのには驚かされた。
4月に開かれる「総合教育会議」に、武居町長がどのような案を示か、期待もしつつ、不安も募る。
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緊張感に包まれた議場
http://freepa.exblog.jp/30451863/
2021-03-09T20:13:00+09:00
2021-03-09T22:26:00+09:00
2021-03-09T20:13:32+09:00
freepa
評論
1月25日に行われた総合教育会議での武居町長の私案発表と翌月2月26日に行われた教育委員・教育長との意見交換についての質問が集中した。
私が代表を引き受けている市民フォーラム「ゆるやかNETたつの」でも昨年秋以降、毎月川島小学校のあり方、教育制度についての意見交換が行われている。
特に、1月は2018年の武居私案についての検討、2月は新提案「ほたる小中学校」についての議論が行われた。
議会一般質問についての私の感想を書く前に、ゆるやかNET月例フォーラムについて振り返ってみたい。
ゆるやかNET 2月 233回 月例フォーラム 議事録 20210213
参加者 8人
テーマ
1:武居町長案について (11月のテーマの続き)
・ 資料 ① 経過メモ ② 2018年 武居町長私案 ③ 2021年 ほたる小中学校構想 ④ たつの新聞 「わたしの声」
資料①は以下
ゆるやかNETたつの 2021年2月 フォーラム資料
町長私案「川島小学校存廃問題再考」までの経過
2016年 赤羽教育委員長が古村前教育長を委員長とする「辰野町立小中学校あり方検討委員会」
に諮問 諮問項目は以下の5項目
1 少子化に応じた新たな学校づくりについて
2 小中学校と地域連携について
3 小中学校間の連携のありかたについて
4 小中学校の配置、通学区に関する事項
5 その他、教育委員会が必要と認める事柄
辰野町立小中学校あり方検討委員会 2年間10回を超える審議。
主な意見のカテゴライズ
1 町立小中学校の配置および通学区について
1)基本的立場 2)教育環境 3)学級規模(人数) 4)行事(修学旅行等)について
5)学校全体の規模について 6)複数級・単級について比較検討
7)保護者、児童の負担、思いについて 8)統合した場合の通学区に係る問題について
9)小中一貫校、義務教育学校について 10)財政上の課題について
11)視点を変えての提案
2 小中学校の連携について
3 小中学校と地域の連携について
1)コミュニティースクールとしての取り組みについて
2)地域に根ざした特色ある教育について 3)地域のこどもを地域で育てることについて
2016年3月~2017年3月 一ノ瀬安正氏を委員長とする「川島小学校のあり方検討委員会」
(川島区内での組織)が「辰野町立小中学校あり方検討委員会」に数ヶ月先駆けて地元での意見を集約
2017年8月 答申
1 小中学校の配置と通学区について
・学級規模の水準は概ね10人とし、下回った場合は統廃合の検討に入る
・通学区は負担にならない範囲に留める
2 小中の連携について
・小学校では地域について学び中学では全町について学びながらふる里に誇りをもてる教育が望ましい
・小学校では規模の違う学校との交流を進める 行事の共催等工夫すべき
3 地域との連携について
・コミュニティースクールの一層の推進を
・学校と地域との連携を強め、地域について学ぶ学習を
2017年10月 武居町政が誕生
2018年 3月 武居私案 公表 別資料参照下さい
「3年間、徹底的に挑戦させて下さい」という決断
2021年1月25日 町長私案「川島小学校存廃問題再考」公表
別資料参照下さい
資料 ④ は以下
以上の資料を元に、8人の参加者で話し合ったところ、示された意見の要旨は以下のようなものだった。
主な意見 <順不同>
a◯ 教育委員会としては小中あり方検討委員会の答申を了とする決定をしている・・・
b◯ 国から地方自治体に対して教育財政引き締めの指示が出ている→小規模校の統合によって8%ほどの削減が見込まれている。
通学区についても国は1時間程度のスクールバス通学を認めている
登下校2時間掛かる地域も出てくる
武居案は難しいだろうが、よいものが出来ると思われる。たとえ川島小が、キャンパスとして残らないとしても、全町1校小中学校構想は、よい教育環境が得られると思う。
ゆとりある教育は世界のスタンダードになっている。 切磋琢磨、競争・・・は遅れている。
問題は財政と、思われる。
c◯ 加配に必要な人員は
d◯ 10~12人程は必要になるのではないか?
人件費で 1億円ほど掛かるのではないか?
初期費用は、改修費、その他で2億円くらい掛かるのではないか?
e◯ 高校再編では、1校2キャンパス・・・という例もある。
f◯ 町の教育制度について、町が決めればいいのか?
g◯ 県教委の承認も必要では?
校長は一人としても各キャンパスに、教頭と呼ぶか副校長と呼ぶかは別として、責任者は必要になるだろう。
保健師、図書館司書、など担任教師以外の職員は必要になる。過配12人では足りないのではないか
h◯ 制度設計、詳細はどこで決めるか、手順はどうするか? 町長・教育長・こども課・教育委員会・・に聞かないと分からない
町長案の具体的な可能性について、法的、財政的な裏付けが無いのが気がかり
i◯ あり方検討委員会の答申について、「町長は3年待て」というのみであった、中身についての所見はどうなのか?
川島小学校については町長が「存続させる」といえば、それが結論になるのではないか?
私案とは言え、だれとも相談せずに作るのはいかがか?
(町長の考えを知りたい)
j◯ 町長・教育長に確認が必要な事項
・ 武居私案「町立ほたる小中学校」の法的整合性
・ 財政的実現性
・ 実現までの道すじ、手順
k◯ 2018年の武居私案で1小学校4校舎制について言及していたにも関わらず、町長は教育委員会に、その構想の検討をなぜ指示しなかったのか?
l◯ 町長は2018年の構想と2021年の構想とは別物と言っている・・・・
m◯ 検討するとすれば、これからか?
n◯ 判断は町民がし、結果は次の町長選挙で出されるのではないか?
有権者に判断を任せるにしても、唐突過ぎはしないか? 全体構想が分からない、詳細不明、半煮えのまま選挙になってしまうのではないか?
o◯ 18日に教育委員会がある、月末までに総合教育会議を招集する予定と聞いている。
p◯ 小野の子供はキャンパスを選べない構想になっているが、公平性を欠くのではないか?
両小野小中学校は組合立なので、辰野町の行政範囲外になっている。
q◯ 構想を練るのが教育長で財政的な算段をするのが町長・・・という構図が一般的と思うが、今回は逆転している。
r◯ 町民の関心は町税の範囲内でこの構想が実現可能かどうかだと思う。あるいは、この構想を実現するために、町税が幾ら使われるかという所ではないか。
構想を公表するにあたって町長として経費見積もりはしているはずではないか
s◯ 教育委員会が本来の「教育」的視点を持たなくなっているのではないか。教育環境として、大きな学校も、小さな学校も、それぞれに良さはある。
川島小について言えば、町長が財政的観点から『廃校』を目指し、教育長が教育的視点から『存続』を提言するのが「一般的」と思われる。
辰野町の状況は逆転しているように見える。
t◯ 「構想」は唐突との意見は多い。未入学児を持つ親は特に不安になっている。公表前に、総合教育会議の場で、十分検討して置くべきだったのではないか。
u◯ 川島の小学校就学年齢児童は10人居る、そのうち9人が"特例"措置で西小へ通学している。特認校制度を含め川島小には本来20人くらいの児童が在籍できる状況があるが、来年度は10
人を切ってしまうのが現実。もはや「地域の小学校」「地元の小学校」とは言えない状況となっている。
v◯ どうして川島の9人の子供が西小へ通うようになったのか?
・児童館(川島の保育園)が無くなって、中央保育園へ通うようになったのが大きいと思う。保育園の友達と同じ小学校へ行けるのならそうしたいと、親も子供も思うのではないか。
w◯ 全戸PTA制度を取っている伊那市新山と川島区の状況は違う。 川島小学校存続に向けて地域を上げての"一枚岩"にはなっていない状況が見られる。
x◯ 地域で学校を支えると言う今までのコミュニティ・スクールの構図が、地域が疲弊してきてしまっている現在、変らざるを得ない。子供、学校がどう地域と関わっていくか、新たな枠組
みが求められていると思う。それを考えるのは国、県、町の責任だと思う。今回の「構想」だけでは、町長のしようとしていることが中々見えてこない。
y◯ これを機会に、町長と教育長がよーく話し合って、教育委員会、総合教育会議で、将来的な町内の小中学校の"カタチ"「将来図」について結論を出して欲しい。
さて、議長(毎月私が行司役です)として、町長・教育長に確認をせなばならないな・・・と思った項目は以下の4点と思われた。
j1・ 武居私案「町立ほたる小中学校」の法的整合性
j2・ 財政的実現性
j3・ 実現までの道すじ、手順
k1・ 2018年の武居私案で1小学校4校舎制について言及していたにも関わらず、町長は教育委員会に、その構想の検討をなぜ指示しなかったのか?
議会一般質問では、船橋議員の質問が際立っていた(私の個人的感想です)
ほぼ、フォーラムで出された疑問点について質され、町長・教育長から回答を引き出せたように思えた。
その他の、議員に依る質問も含め、私なりに理解できた内容は以下のようなものであった・・・・ おそらく4月の総合教育会議で詳細が明らかになると思われるが、今日時点で明確になったと思われる事柄をまとめておきたい。
j1・ 武居私案「町立ほたる小中学校」の法的整合性
・「義務教育学校」の制度に基づいた”小中一貫校”が各地に開設されていることから、法的には問題ない
・ 一校2校舎の実例もある
j2・ 財政的実現性
・ 一校5キャンパス化に必要な経費については未算出 具体的な試算はこれから
・ 現状の各校経費を元に川島小維持に必要な金額を予測した議員も居たが、未確定要素が多すぎ、実際の経費は不明・・・と思われた
j3・ 実現までの道すじ、手順
・ 4月の総合教育会議以降となりそう(私の理解)
k1・ 2018年の武居私案で1小学校4校舎制について言及していたにも関わらず、町長は教育委員会に、その構想の検討をなぜ指示しなかったのか?
・ 2018年に教育委員会に「3年の猶予を」と要請し、川島小学校の児童数増加に全力を傾けた
・ その時示した「武居私案」は具体的には詰めていない”イメージ”レベルであった。 3年間、様々な資料を準備し、思索を重ねたが、”イメージ”を”構想”として形にすることはできなかった。 昨年9月から成文化に取り掛かったが、自らが決めた期限内に「川島小学校存廃問題再考」として示すのがやっとだった。
もう少し、早くまとめて、教育委員会と検討する機会をもつべきだった・・・
ふりーぱ的 所感
・ やはり、もっと早く、こども課、副町長、教育長に素案を示し、チームで構想から積み上げるべきだったと思う。
・ 複数案でも具体的なプランを立て、メリット、デメリットを明示できるようにすべきだったと思う
・ 3月議会でも、心なしか「ほたる小中学校」実現に向けた”覚悟”が弱いように感じられた。
もっと、「議論はこれからです」とか「”川島小の存続問題”と”ほたる小中学校構想”とは次元が違う」と主張すべきではなかっただろうか?
・ 保護者の「小中学校へ期待すること」そのものが変わらない限り「学校」も「配置」も変わらないと思う。
多様なニーズに答えるには、学校そのものも多様なバリエーションを揃えねばならないだろう
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パラレル ドリーム
http://freepa.exblog.jp/30408286/
2021-01-27T22:32:00+09:00
2021-01-28T10:56:41+09:00
2021-01-28T01:12:25+09:00
freepa
時事
武居町長が辰野町総合教育会議で私案「川島小学校問題再考~新たな学びのかたちを求めて~」を公表し、24ページに及ぶ資料を掻い摘んで説明した。
それでも1時間30分掛かった。
内容は
・町内の4小学校1中学を統合し「辰野町立ほたる小中学校」をつくり、・1校5校舎(小学部4キャンパス、中学部2キャンパス 小中併設1キャンパス)として、それぞれ特色ある教育を目指す ・全町を一つの学区にして、生徒、保護者がキャンパスを選べる ・イエナプラン教育などを参考に地域に開かれた学校を目指す
・・・といったものだった。
心から、感激し、拍手を贈った。
正直なところ、「私の力不足で・・・」と、現状を容認し、川島小学校の統廃合を認める決断を表明するのではないかと思っていたからだ。
2018年3月26日、就任間もない町長はやはり総合教育会議の席上で「3年間の時間を下さい」と言い、川島小学校の存続を目指して「3年間、徹底的に挑戦させて下さい」と発言。
教育長も副町長も寝耳に水の衝撃を受けた。
というのも、2016年に教育長は「辰野町立小中学校あり方検討委員会」に以下の問題について諮問し「学年10人以上の生徒が望ましい」とする”学級規模”についての答申を得た経緯があったからだ。
振り返ってみたい。
2016年 赤羽教育委員長が古村前教育長を委員長とする「辰野町立小中学校あり方検討委員会」に諮問した事柄は以下のような5項目だった
1 少子化に応じた新たな学校づくりについて
2 小中学校と地域連携について 3 小中学校間の連携のありかたについて
4 小中学校の配置、通学区に関する事項
5 その他、教育委員会が必要と認める事柄
父兄、教職員、保育園、区長会、議会、学識経験者、住民公募・・・から選ばれた20人ほどが2年間10回を超える審議をし、以下の項目について分類整理し、答申に至った。
主な意見のカテゴライズ
1 町立小中学校の配置および通学区について
1)基本的立場
2)教育環境
3)学級規模(人数)
4)行事(修学旅行等)について
5)学校全体の規模について
6)複数級・単級について比較検討
7)保護者、児童の負担、思いについて
8)統合した場合の通学区に係る問題について
9)小中一貫校、義務教育学校について
10)財政上の課題について
11)視点を変えての提案
2 小中学校の連携について
3 小中学校と地域の連携について
1)コミュニティースクールとしての取り組みについて
2)地域に根ざした特色ある教育について
3)地域のこどもを地域で育てることについて
検討委員会の委員の数が多すぎたのか、出された意見は多岐にわたり、方向も焦点を見失いそうになり、委員長も事務局も集約に苦労したことが伺える。
また、同時期(2016年3月~2017年3月)に 一ノ瀬安正氏を委員長とする「川島小学校のあり方検討委員会」(川島区内での組織)が「辰野町立小中学校あり方検討委員会」に数ヶ月先駆けて地元での意見を集約し、「小中検」に、言わばクザビを打ち込むような形で”存続”の意思表示をしていた。
当時、福祉教育常任副委員長だった私は「小中検」の会議を傍聴したり、視察に同行させていただいていた。2017年は委員として会議に参加した。
前半、教育の質などについての発言が多かったように記憶しているが、後半は学級や学校の規模についての話が中心になっていったような気がしている。
◯地域のこどもが中心で
◯10人以上のクラスであってほしい
◯集団学習、集団行動が出来ないのは不都合
・・・・といった意見が主流になっていったように記憶している。
そうした中で2017年8月に以下の答申が示された。
1 小中学校の配置と通学区について
・学級規模の水準は概ね10人とし、下回った場合は統廃合の検討に入る
・通学区は負担にならない範囲に留める
2 小中の連携について
・小学校では地域について学び中学では全町について学びながらふる里に誇りをもてる教育が望ましい
・小学校では規模の違う学校との交流を進める 行事の共催等工夫すべき
3 地域との連携について
・コミュニティースクールの一層の推進を
・学校と地域との連携を強め、地域について学ぶ学習を
その後「学級規模の水準は概ね10人」との答申のみが強調され、川島、南小で存続が危ぶまれるような事態になりつつある中、2017年10月、武居町政が誕生し、翌3月「3年間、徹底的に挑戦させて下さい」という決断に至ったのだった。
宮澤教育長、山田副町長にとっては、2度めの”青天の霹靂”だったに違いない。
だが、川島の自然を愛し、そこで子育てをしたいと強く願っている親子にとっては、明るい未来が見えた瞬間だったことだろう。
福祉教育常任委員長時代、シュタイナー学園を川島に呼び込めないかと、相模原市の同学園へ学園長に会いに行ったことがある。
少人数でのびのびと学び、困難な課題に自分達の力で立ち向かい、自らの力で回答を出そうとする学び方が素晴らしかった。
しかも、空間が芸術的で洗練されている。 けっしてお金を掛けて飾り立てている訳ではなく、こころが癒される空間演出が細部に渡って施されていたのだ。
川島小学校だけでなく、町内のすべての小学校がそうした空間に生まれ変わってくれたらいいのに・・・と思った。
各地の小規模校を見学する度に、川島小学校の可能性に気付かされ、明るい未来を夢見ることができた。
歩みは、本当に少しずつではあるけれど、川島小を取り巻く状況も良い方向に向かっている。 と、個人的には考えている。
同じ、状況を同時に見ても、悲観的に捉える方々も多くいらっしゃるので”個人的に”と、敢えて書いた。
町長の1時間半に渡る”駆け足”の説明の後、意見を求められた宮澤教育長は
「なぜ、この3年の間に相談して頂けなかったのか。残念です。」
教育委員は
「突然の表明に混乱しています。」
と、発言。
3年前に「1校5校舎」プランを表明していたのに、検討すらせずに無視し続けてきたのは、あなた達ではないか、と思ったが、彼らの言い分も理解できた。
あの時町長は、3年の猶予を教育委員会(総合教育会議)に要請し、辰野小中一貫校構想は私案として言っただけで、検討を依頼したわけでは無かったのだから。
3年待ったから、統廃合について考え始めようか・・・と思った矢先に、「小中検」では検討に値しない・・と結論づけた全町一校案が出されたわけだから
彼らにとっては”ちゃぶ台返し”に近い印象だったかもしれない。
某委員は「川島小ありき、で考えたとしか思えない」と発言した。
「存続か廃校かの議論に終止符を打ちたい」とする武居町長の義務教育一貫校構想は、・通学区を廃止し、・6校舎(キャンパス)に特色を持たせ、・学童が自由に選択できる・・・新しい制度、従来の議論を超越するもので、効率のみを選択の基準にしてきた従来の教育委員会の考え方に再考を促すものだ。
感動的な構想、冊子の20-21ページをテキスト化してみた
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「木を見て森を見ず」 という言葉がある。「些細なこと、 細かい部分にこだわ
りすぎると、 大きく全体やものごとの本首を見失う、見落とすことがある」 と
いう意味の格言である。
川島小学校は、小規模校 少人数学級の特性を生かし、 豊かな自然と地域素
材を生かした体験学習、伝統的なふるさと学習を実践している。一方、 町内の
他の小学校、辰野西小学校、 辰野東小学校、辰野南小学校もそれぞれ地域特性
を生かした特徴的な学校である。また、「憑(たのめ)の里」 として知られる両
小野地区では現在、 「両小野学園」(小野·北小野両小野保育園、 両小野小学校、
岡小野中学校) として施設分離型の保,小中ー貫教育を推し進めている。 特
に地域を題材とした領域「たのめ科」を設置し、両小野の豊かな自然、歴史、
文化、産業、人々の生き方等について学んでいる。そして町内どの小学校も伝
統文化を守りつつ、 「地域と共にある学校」「地域の人々に愛され支えられる学
校」を目指している。
川島小学校の存続か統廃合かの問題の結論が出たとしても、 次に統廃合の対
象となる学校はどこかという論議に必ず通じていく。 少子化が今後も進む将来
において、避けて通れない存廃問題にいずれまた直面することになる。 最後の
一校に絞られるまで続くであろう。
私は3年前の表明の時に、新しい学校の形「辰野モデル」 として 「校舎併設
型公立小中一貫校+信州型コミュニティ·スクール+義務教育学校」として「辰
野町立辰野小中学校」 を提案させて頂いた。 辰野町には各小学校はみな特色あ
る学校ばかりであり、 子どもの成長段階に応じた教育機関も充実している。 こ
れらが一体化、融合した時に非常に魅力的な教育体制が構築できると考えたか
らである。しかしこの提案に対してはこの3年間深く論議してこなかった。 あ
くまでも川島小学校の存廃の可否だけを探求しようとしたからである。
しかし、川島小学校だけを問題とせずに、他の小学校との連携、 町全体の教
育体制を見渡した時に、 様々な問題·矛盾を解決してくれそうな 「別の姿」が
見えてきたのである。 これまで述べてきた各種の教育方法や学校運営方式、 現
状の問題を打開しようと挑戦している各地の事例を通して、 当町における課題
解決の道を探ってきたが、 私はここで改めて提案しようと思っている。 それが
正解かどうか確信はもてない。 しかしこの3年間、 私なりに考え抜いたあげく、
浮かび上がってきたイメージがある。この「未来設計図」 に 「現実」を近づけ
ていきたいと考えている。
6. “日本初の小学校キャンパス化” 構想~ 「辰野町立ほたる小中学校」 誕生へ
辰野町立ほたる小中学校のイメージ
~地域全体を大きな学校に 自分にあった学校を選べる~
キャンパス 規模と特色
伊那富キャンパス 20~30人学級
音楽体験型キャンパス
朝日キャンパス 20~30人学級
美術体験型キャンパス
小学部 羽北キャンパス 10~20人学級
スポーツ体験型キャンパス
ほたる小中学校
川島キャンパス 10人以下学級
自然体験型キャンパス
欅キャンパス 30人学線
中学部
桜 キャンパス 10人以下学
小学校のキャンバスに併設
* 学区は町内1学区とする。
* 入学時にキャンパスの選択をする。
* 1年または学期単位でキャンパスの移動を可能とする。
* 通学は徒歩、町内定期バス、スクールバス等を利用· 運行路の検討
* 中学部は自転車通学も可とする。
* 入学式、卒業式等、 各行事はキャンパス単位または全体で行なう。
* 運動会は荒神山グランドで全体で実施する。
* 音楽会は町民会館で全体で実施する。
* 維持経費がかかる夏季のブールは小中それぞれ1箇所にする。
* 教育方法(イエナプラン教育、 国際バカロレア教育、 モンテッソーリ教育等
学校運営方法(小中一貫校ないし義務教育学校等)については研究課題とし
今後専門家の意見を聞く。
* その他、細部については今後検討する。
教育体制·学習環境の充実に向けては「ONE TATSUNO」で、
子どもの幸せ·未来の実現に向けては「ALL TATSUNO」で。
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どうしたら実現できるか、まず考えてみてはどうだろう。
そのための障害があるのなら、教育委員会は、それを挙げ、町民に示してみせるべきだ。
また、町職員は、構想実現のための道筋を検討すべきだ。
様々な困難な状況の中で、巧みなアイデアで財源を確保してきた彼らならきっと出来ると期待している。
町民の理解と支持を得られるように、僕たちも頑張ろうと思う。
議員時代、宮澤教育長とよく話しをした。地域に開かれた学校にすること や地域の文化、歴史を学んで、ふる里に誇りを持つこと グループ学習で、答えの無い課題に異なる意見の人と話し合いの中から解決策を導き出すような教育 など多くの点で、共感を得ていても、統一校の話や川島小存続の話題になると平行線となって、交わることがなかった。限られた財源の中で多様性を優先するか効率を配慮するか・・・・子供が主役という点では一致していても、理想(結論)はどこまでも続く線路のようパラレル ドリーム ・・・なのだ。
たたかいはここから、あらゆる偏見や、困難を克服して、テ・ファレクラ・オ・カワシマ <川島の学校> (マオリ語) を創りたい!!
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母のきょうだい
http://freepa.exblog.jp/30255456/
2020-10-14T18:28:00+09:00
2021-01-28T11:03:47+09:00
2020-10-14T18:28:27+09:00
freepa
日記
NZへ旅立つ前に箕輪町の施設に母を訪ねた。 もう、眠っているだけで、意識はなく、手を握っても無反応だった。帰国するまで持たないだろうな・・・・とは思ったけれど、母ならきっと「行ってこいやれ」と許してくれると確信があった。 昔から、母の言うことを聞かず、勝手放題な息子だったけれど、それを許してくれ、自慢にもしてくれるような母だった。
母は南箕輪の小さな農家の4女、父親も長兄も早くに亡くなり、母親ときょうだいに可愛がられて育った(らしい)。 母が盛田屋へ嫁いで、しばらくして、姪っ子がF家に嫁いできた。子供心に、南殿のキレイなおねぇちゃんが宮木に嫁に来た・・・そんなインパクトの有る出来事だった。そのおねぇちゃんのお母さんが、通子伯母さん、母の二番目のお姉さんだった。
2010年 姉さんに会いたいよぉ・・・と母にせがまれ、一緒に行った時の写真
「よく来てくれた」と、起き上がって元気に話しをしてくれた。
107歳の頃だったか、辰野の特養に入所した。 住所を南箕輪から辰野町に移したので、翌年の敬老の日の新聞に「南箕輪の県最高齢の女性は亡くなった」・・・旨の記事が出て、親族を慌てさせた。 新聞社も南箕輪村の社協や保健・福祉課にしか取材しなかったようで、所在が不明となっていたために、”最高齢者”が通子伯母さんで無いような記事となったのだった。
かたくりの里には写真同好会の常設展示コーナーがあり、1月と7月に展示写真の入れ替えに訪れていたので、毎年2回は伯母の部屋を覗いていた。
https://www.facebook.com/akakiuchi/posts/965703533479946
昨年、3月に母が、10月に通子伯母が亡くなり、I家の母のきょうだいが皆、彼岸に渡ってしまった。
年が明け、7月になって、ジェロントロジー・リサーチ・グループという機関の日本代表をしているYさんからメッセンジャーのコメントが届いた。
長寿の研究をして居る組織であること。Yさんも国内の長寿者の情報を集めていること。 通子伯母さんの情報も県から得たいと願ったが、出生の情報について家族の希望で非公開となっていたところ、2015年、2016年の私のスレッドでどうやら私が親族の一人だと分かった。 残された家族から、名前、生年月日、県名の公表の承諾を取ってほしい。 出生の公的証拠となる謄本などのコピーを入手して欲しい・・・・・といった内容だった。
Y家は結構守りが堅い。 葬儀でさえ親族を呼ばないで行った程、後を守っているお嫁さんが個人情報の公開にはスンゴイ慎重な方で、スンナリ謄本を取ってはくれない感じだった。 兄とも相談して、息子さんに了解を取り、母の謄本に載っている通子伯母さんの出生年月日を公的証拠としたらイイのではないか?
と、いうことに。
ある晩、意を決して電話してみると、お嫁さんが電話口に・・・息子さんを・・・とお願いすると「まだ、帰っていない」「何の要件か」「私ではダメか」・・・と、かなりお疑いの様子。
もう、正直にお願いするしか無い! と、経緯を説明、何とか、名前と生年月日の公開を許してくれるように、お願いした。 南箕輪の住所や親族を特定できるような情報は開示しないようにとの条件付きで、母の謄本の使用については了解を得ることが出来た。
https://gerontology.wikia.org/wiki/Oldest_living_people
そんな、団体が有るなんてことすら知らなかったし、伯母が日本で3番めの長寿、世界でも8番目だなんて、びっくりもした。
3枚めにようやく母の名が・・・
兄とも昔の話をすることが出来たし、読めない伯母(長女)の名前の読み方を聞くために、久しぶりに富県のいとことも話をすることが出来た。
「アキラさん、相変わらず面白そうなことしてるねぇ~。 関心関心、頑張りなさいよ。」・・・・元教員の彼女はホメ上手 (笑) いつもその手で煽てられちゃう。
謄本取るために、辰野町役場と南箕輪村役場へ行った。 伯母の家も近かったが寄らずに帰ってきた。
更地になった、母の実家、いとこと遊んだ共同井戸の用水路辺りを懐かしく見てきた。
いとこと遊んだ納屋の前の小川
この水で、食器も野菜も洗っていた。
北殿の旧国道
今の153号線は母の実家の畑のど真ん中を貫通している
今頃は、きょうだい揃って賑やかくしてるんだろうな・・・・合掌。
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