2016年 02月 20日
「交流」 雲白長膝栗毛 vol.1 |
2016年2月11日から17日まで、後援会「彰理会」有志6人とワイトモを中心に、ニュージーランド北島の中央部を旅してきました。
しばらく、思い出を書き綴って参ります。
お付き合いください。
タイトル 雲白長<ウンパクチョウ>は、私がつけたニュージーランドの和名です。
マオリ語のアオテアロアは アオ=雲 テア=白 ロア=長 白い雲が長くたなびく島=ニュージーランドを意味しています。
そこで、10年ほど前からニュージーランドを「雲白長」と呼ぼう運動を、私は細々と続けています。
さて、今回の旅、本当は 伊勢神社、熊野古道 訪問・・・の予定だったのです、3年前は。
昨年正月に、「国際交流協会長なんだからニュージーランドへ連れてけ・・・」と幹部に言われ、いつの間にか目的地が伊勢からワイトモへ変わってしまったのです。
私の肩をぐっと抱き寄せ、耳元で 「な、**さん、@@さん、##さん、は夫婦で絶対に行く。$$と&&も行くって言うだろう。 ま、ざっと20人位かな・・・」 と、言いながら、みんなに声を掛けていたOさんが、途中で 「ゴメン、行けなくなった」 と、脱落。 その後、1組減り、2組減り・・・と、参加表明していたカップルも減り続け、アテにしていた友人夫妻も説得できず・・・結果3組の夫婦+私の旅ということになりました。
ただ、移動するには少人数のほうがぐっと楽ですし、現地でガイド兼ドライバーをお願いする友人夫妻にも負担は少なく、お願いしやすかったので、結果とすればベストミックス!!と言うカンジでした。
昨年我が家に泊まったウインストン、テリーナの二人が、私の相談に応じてくれ、5日間ツアーをガイドしてくれる事になりました。「車は小学校のバンを借りるから旅行社のバスはキャンセルしていいよ・・・」
とのことで、一人あたり5~6万、計40万近く安くなりました。
持つべきは、良き友 です。(笑)
さて、こちらの希望を思いつくままウィンストンに送ると、彼は綿密な旅行計画をエクセルにまとめ送ってきてくれ、こちらで、さらに変更要求を知らせると、その修正版を送ってくる・・・そんな、日程調整を3回ほど行い、ツアーの出発日となりました。
こちらとしては、あちこち観光して歩きたい・・・だけだったのですが、ウィンストンとしては、彼のファミリー(マオリ、マニアポト族の1グループ)のマラエで僕の友人を歓迎し、「マニアポトの学校で歓迎会をしたい!!」
という思いが強く、ひしひし、こちらに伝わったので、極プライベートな団体でしたが、”辰野からの代表団”的な歓迎を受けることになりました。
20年、中学とワイトモ地区の小学校との交流を続けてきましたが、純粋に”マオリだけの学校”での交流は経験が無かったので、”テ ファレクラ オ マニアポト” =”フォーファレ・スクール” に案内された時は、ちょっと戸惑いました。
丁度、新入生の歓迎式が行われていてブライアン・ハナ町長も来ていたので、
「ウィンストンがフォーファレ・スクールと辰野中学との交流を望んでいるが、ワイトモとしてはどう考えるか?」
と尋ねたところ
「是非、交流校に加えて欲しい」
とのことでした。
来年、もし辰野の子どもたちが、フォーファレ・スクールへ来ることが出来たら、英語を学ぶだけではなく、広く世界の様々な文化、その多様性を学ぶ、良い機会になると思います。
自分たちのアイデンティティを見失わず、マオリ文化を守りながらヨーロッパ人とも共存を図る・・・ニュージーランドの多様性は私達も見習わなくてはならないと思います。
正に、私達が今進めようとしている”コミュニティ・スクール”の先駆的事例が、この田舎町で行われているのです。
素晴らしい、交流体験をさせてもらいました。
私の後ろがブライアン・ハナ町長。 向かって左の隅がヒーレレ校長先生です。
しばらく、思い出を書き綴って参ります。
お付き合いください。
タイトル 雲白長<ウンパクチョウ>は、私がつけたニュージーランドの和名です。
マオリ語のアオテアロアは アオ=雲 テア=白 ロア=長 白い雲が長くたなびく島=ニュージーランドを意味しています。
そこで、10年ほど前からニュージーランドを「雲白長」と呼ぼう運動を、私は細々と続けています。
さて、今回の旅、本当は 伊勢神社、熊野古道 訪問・・・の予定だったのです、3年前は。
昨年正月に、「国際交流協会長なんだからニュージーランドへ連れてけ・・・」と幹部に言われ、いつの間にか目的地が伊勢からワイトモへ変わってしまったのです。
私の肩をぐっと抱き寄せ、耳元で 「な、**さん、@@さん、##さん、は夫婦で絶対に行く。$$と&&も行くって言うだろう。 ま、ざっと20人位かな・・・」 と、言いながら、みんなに声を掛けていたOさんが、途中で 「ゴメン、行けなくなった」 と、脱落。 その後、1組減り、2組減り・・・と、参加表明していたカップルも減り続け、アテにしていた友人夫妻も説得できず・・・結果3組の夫婦+私の旅ということになりました。
ただ、移動するには少人数のほうがぐっと楽ですし、現地でガイド兼ドライバーをお願いする友人夫妻にも負担は少なく、お願いしやすかったので、結果とすればベストミックス!!と言うカンジでした。
昨年我が家に泊まったウインストン、テリーナの二人が、私の相談に応じてくれ、5日間ツアーをガイドしてくれる事になりました。「車は小学校のバンを借りるから旅行社のバスはキャンセルしていいよ・・・」
とのことで、一人あたり5~6万、計40万近く安くなりました。
持つべきは、良き友 です。(笑)
さて、こちらの希望を思いつくままウィンストンに送ると、彼は綿密な旅行計画をエクセルにまとめ送ってきてくれ、こちらで、さらに変更要求を知らせると、その修正版を送ってくる・・・そんな、日程調整を3回ほど行い、ツアーの出発日となりました。
こちらとしては、あちこち観光して歩きたい・・・だけだったのですが、ウィンストンとしては、彼のファミリー(マオリ、マニアポト族の1グループ)のマラエで僕の友人を歓迎し、「マニアポトの学校で歓迎会をしたい!!」
という思いが強く、ひしひし、こちらに伝わったので、極プライベートな団体でしたが、”辰野からの代表団”的な歓迎を受けることになりました。
20年、中学とワイトモ地区の小学校との交流を続けてきましたが、純粋に”マオリだけの学校”での交流は経験が無かったので、”テ ファレクラ オ マニアポト” =”フォーファレ・スクール” に案内された時は、ちょっと戸惑いました。
丁度、新入生の歓迎式が行われていてブライアン・ハナ町長も来ていたので、
「ウィンストンがフォーファレ・スクールと辰野中学との交流を望んでいるが、ワイトモとしてはどう考えるか?」
と尋ねたところ
「是非、交流校に加えて欲しい」
とのことでした。
来年、もし辰野の子どもたちが、フォーファレ・スクールへ来ることが出来たら、英語を学ぶだけではなく、広く世界の様々な文化、その多様性を学ぶ、良い機会になると思います。
自分たちのアイデンティティを見失わず、マオリ文化を守りながらヨーロッパ人とも共存を図る・・・ニュージーランドの多様性は私達も見習わなくてはならないと思います。
正に、私達が今進めようとしている”コミュニティ・スクール”の先駆的事例が、この田舎町で行われているのです。
素晴らしい、交流体験をさせてもらいました。
私の後ろがブライアン・ハナ町長。 向かって左の隅がヒーレレ校長先生です。
by freepa
| 2016-02-20 16:36
| 日記